先日Vlog Vol.58として、神戸へ行っている動画を投稿しています。

 28年目の神戸でスナップ、思い出のステンドグラスと再会【VLOG Vol.58】

その最初の部分でステンドグラスを見に行っているんですが、『見に来たかった』とは行ってますがそれ以上説明をしていません。

『説明が無いなぁ・・・』と思われているかもしれませんが、ちょっと話すと長くなりすぎるのであえて何も触れなかった感じです。

という事で、久々のブログはこの事について残しておこうと思います。

そのステンドグラスが有るのは、神戸市中央区に在る『カトリック神戸中央教会』という教会です。

そこで、少し聖堂には入りましたが、すぐ別のところにあるステンドグラスの方へ向かっています。

ただ、ご存じない方だと、『なぜステンドグラスが聖堂じゃないところに?』となるかもしれません。
なんなら教会の雰囲気はかなり近代的でシンプルなデザインなのに、そのステンドグラスはかなりクラシックなものです。
デザイン的には、ここの聖堂にはあまりマッチしないかもしれません。

学生時代の変わった思い出

話は約30年前。

当時学生だった僕は学校の行事で神戸へ行きます。

社会見学旅行?
そういう類のものだったと思います。

北野異人館街では数人ずつのグループを作り散策しました。
僕は友人と3人のグループです。

で、当時の担任が邪魔くさかったのか、初っ端から僕にカメラを預けます。
『これで色々写真撮っといて』

担任の一眼レフです。
憧れでした。

職員室へ行くたびに『カメラ良いなぁ・・・』と眺めたり、時には弄らせてもらっていました。
隣の担任のもの触っていた気がします。

今思うと、当時もカメラが好きだったんだなぁって思います。
ただ、幼少期からの記憶だと、撮影が好きというよりは機械とか仕掛けとかギミックとかそういうのが好きで、特に時計とかカメラが好きでした。
カメラは、フィルムの巻き上げレバーを外側で触ると、内部が連動して動く感じがすごく好きだった記憶があります。

で、預けられた一眼レフと一応自分でも父親から借りてきていたコンパクトなカメラ、この2台を持って街を散策です。

通常は担任などが課外授業などの様子を写真にして販売するような感じですが、その写真を僕が撮るという事です。
カメラを借りられた嬉しさや、責任など色々混じって大変です。

で、ある程度時間が過ぎた時になんとなく
『もうちょっとこっちの方へも行ってみよう』
と、異人館街からは離れた方に逸れます。

明確な範囲などの約束は無かったと思いますが、異人館街が目的だったはずなので、今思えばなぜそう思ったのか覚えていません。

クラスのメンバー達の人気ひとけを感じる方とは逆の方に歩きます。

そこで、急に現れたのが大きな教会でした。

とてもクラシカルな見た目の教会で雰囲気が有り、3人とも吸い寄せられるように入ったのを記憶しています。
そこで、まず撮ったのが先ほどの外観です。
これは一眼レフで撮影していると思います。

で、中にも少し入ります。
『お邪魔しま〜す』
静かに声をかけつつ入ったんですが、だれもいらっしゃいませんでした。

そこで聖堂ステンドグラスの美しさに圧倒されます。
3人で『すご〜い』と押し殺すように声を出したのを覚えています。

さて、無事社会見学旅行も済み、写真の販売の日です。
特別僕が撮ったと言ってたかどうかは分かりませんが、クラスメートは僕が写真を撮っていたのも見ていたりしてましたし、知っていたと思いますますが、普通に売れます。
まぁ担任が撮ったからといって上手いかどうかは、今考えるとそれぞれですので、ブレやピントが外れてるものとかがなければ、特段問題のない話なんでしょう。
ただ、当時の僕は『僕が撮ったものなのに売れるんだ』という衝撃がありました。

これがまず、カメラそのものから写真へも興味が湧いていくきっかけの一つだったのかもしれません。

カメラに興味を示していた僕への気遣いなのか、本当に邪魔くさかったからなのか、今となっては不明ですが、カジュアルな担任にも感謝ですね。

1995年1月17日 阪神・淡路大震災

そこから数年後、阪神・淡路大震災が発生します。
今は京都市内に住んでいますが、当時はもう少しだけ北の方にある実家住んでいました。

今でも夜ふかし型ですが、当時も同じで、その日は更に遅くというか朝方まで起きていました。

『学校行かないとだし、少しは寝ておくか』

そう思って横になった瞬間に地鳴りが聞こえました。

すぐに普通じゃないと思って体を少し起こした時に揺れ始めます。

もう、そこからは揺れが収まるまでその状態から全く動けませんでした。

『家が壊れる』

そう思いましたが、幸い、棚の上などの不安定なものが倒れるぐらいで大きな被害は有りませんでした。

『大丈夫か?』

親からも声を掛けられます。

『うん、大丈夫』

部屋から出ずに返事だけしました。

きっと、京都南部とかが震源地の地震なんだろうと思いながら、テレビを見てみましたが、なかなか情報が出てきません。

『そんなに早く出ないって』

そう家族にも言われましたが、気になります。

どのくらい時間が経ったかわかりませんが、まず目に入った震源地の遠さに驚きます。
最初から淡路島と出ていたかは不明ですが、なにしろ京都南部や大阪北部ではないという驚きです。

それからしばらくして映像が入ってきました。
ただ、その頃の日の出時刻は7時過ぎ、真っ暗でよく分かりません。

実況されている方の様子から大変な事になっているという事はわかりますが、なにぶん真っ暗なのでどの程度か分かりません。

“ひどい状況”

と言っても、この時の想像は大したレベルじゃない事を数時間後に確認する事になります。

明るくなってからの映像。

一番驚いたのは倒れた高速道路でした。

ここからの様子はまだ多分色んなところで映像が残っているんじゃないかと思います。

友人に連絡をして『学校どうかな?』と話しましたが、学校にも連絡つかず、とりあえず向かう事に。

いつもの数倍の時間を掛けて学校に着きますが休校という事がわかり、しばらくウロウロして知り合いと情報交換をした後に、当時アルバイトをしていたので、アルバイト先へ向かいます。

当然、そこでも仕事にはならず、なんとなく時間を潰すだけ。

そこから数日はそんな感じで、学校も休みで、バイト先へ行ってできる範囲の仕事をしつつ時間を潰す感じでした。

この先も話は続けられますが、震災についてはこの辺にします。

実家で見つけたアルバム

さて、そこから数年後。

実家を離れていた僕は、久々に実家へ戻り自分の部屋を片付けます。

片付けが目的だったのか、何か探し物をしていたのか、思い出せませんが、そこでアルバムを見つけました。

他にどんな写真があったか思い出せませんが、文中に差し込んだ2枚をそこで見つけて、一気に当時の事が蘇りました。

そしてその2枚の写真を見ながら『ここ、もう一回行きたいなぁ』と思ったんです。

 

ただ、教会の名前が分かりません。

そればかりが、数年前に、土地勘も無くフラフラと訪れた場所も正確には記憶しているはずもありません。

ただ、外観は写真が在るので見れば分かります。

インターネットで数日間かけて探しました。

どうやって探したのか思い出せませんが、多分『神戸 教会』などで調べて外観を見て回ったんだと思います。

そうすると一枚のスケッチを見つけました。

通りから見た感じは全く記憶に残っていませんが、建物の感じは写真教会そのものです。

そこで教会の名前が『中山手教会』だと分かりました。
で、名前で検索してみると写真がたくさん出てきました、当たりの様です。

そこで詳しく調べてみると、やはり有名だったようですし、建物やステンドグラスの評価も高かった様です。
山口少年が一瞬で魅了された理由が分かります笑

ただ、その教会・・・阪神・淡路大震災で倒壊していたんです。

でも、ステンドグラスのほとんどはあまり被害を受けずに残っている事が分かりました。

その中山手教会の有った同じ場所に今あるのが『カトリック神戸中央教会』です。

で、今回撮影をしているステンドグラスは中山手教会の聖堂正面に有った三枚です。

 

この写真の右上に見えるのがそうですね。

残りのステンドグラスは、香川県高松市にあるカトリック桜町教会で使われているとの事です。
そちらも是非見に行きたいなぁと思っています。

写真の魅力

たった2枚の写真だけで、ここまでの事が繋がりました。

そして震災から28年目の今年2023年1月17日と、以前はちょうど20年目の2015年1月17日にもこのステンドグラスを訪れています。

北野へ行くと、学生時代の友人の事、地震の事、それになんて長い年月が過ぎたんだろうという事、歳を取ったなぁ〜とかね、色々と浮かびます。

日記などの文章、動画などもそうかもしれません、何かを残しておくのは大事なんだなぁと思います。
有る程度の年齢になってからは特に思います。

記憶は徐々に角が取れていきます。

よく言われるのは、辛い記憶は薄れていって、良い記憶だけが残りやすい、だから人間は生きていける、みたいな事です。

この両方にそんな差が有るかどうか分かりませんが、時間が経つごとに全てがぼんやりしていくと思います。

楽しかったことも“楽しかった”という事実は記憶していけますが、どんな感覚だったかというのはぼんやりしていく感じです。

まぁ日々新しい事が発生していくので当然な話で、時間が経つごとに鮮明さというか解像感は損なわれていくと思いますが、そういう記憶が写真を見た時に鮮明に蘇っていく様な気がします。

特に、写真を撮るために出かけた時よりは、友人、家族、などと様々な理由で出かけたりした時に『あ、ここ、撮っておこう』って思ったその時の感情です。

文章でも読み返すと、ぼんやりだったところが、その文章を書いている時の感情も含めて鮮明になると思いますし、動画もそうです。

ただ、文章と動画って少し揺らぎが少ないと思うんですよね。
良い悪いとかじゃなくて。

上手く例えられないんですけども、例えば『神戸』って書くと、読める場合は、まず文字として情報を受け取ると思うんですよね。
まぁ読むためのツールで揺らぎが多いと意味が無いからそれはそれで良いと思うんですが、文字そのものやその読みがまず入ってくるので、毎回それにまつわる記憶の掘り下げって行われているかと言うと・・・どうかなぁって思います。

動画については、映ってさえいれば、カメラスペックによる解像感の高さ低さによる映像の鮮明さには差があるかもしれませんが、そこに事実が有ります。
音も情報としては加わって、画面に映ってない周辺の情報も少し補完される事も有ると思います。

記憶と違う場合は、『あぁこの時ってこうだったんだ・・・』みたいな事になります、答え合わせみたいな感じ。
要するにこれも揺らぎが少ないと思います。

で、写真って曖昧部分が多いんですよね。
そもそも現実は止まってないのに止まった画ですし、音声も無いのでフレームの外側の情報は全くない。
一緒にメモでも残しておかなければ、ひょっとしてどこで撮ったかも忘れてしまっているかもしれません。

最近だと、デジタルなので日付は分かるかなぁ、あと、GPSの情報とかついていたら場所もわかるかもしれませんが。

文章や動画ってそれだけで記録になり得るかもしれませんが、写真って曖昧な部分が多過ぎて、それだけでは記録にはなりにくいと思うんですよ。

でも、写真を見ながら思い返せることって多い気がします。

特に自分が撮った写真は特別です。

その時の記憶と、ファインダーを覗こうと思った感情、シャッターを押す時の感覚、撮影の前後の事、色々です。

誤解の無いようにもう一回書きますが、写真以外がダメって事では無いです。

ただ、時間が経って角が無くなっていった記憶の角を復元するのは、動画や文章が得意な気がするんですが、写真は揺らぎが多いが故に、人間が都合よく覚えている事を増幅する感じがします。

『それって良い事なの?』と言われると、よくわかりません。

でも、自分の中にある良い記憶をそのまま増幅してくれる、そんな魅力が有ると思います。

 

今回久しぶりに神戸で写真を撮って、また昔のことを思い出して、この2枚の写真を探し出して、色々思いながらこの文章を書いています。

 

まだまだ、ダラダラと書こうと思ったら書けますが、とにかく、写真って良いなぁって思っています。

最近だとスマホの普及でほとんどの人はすぐに写真が撮れます。

まぁでも、なんとなく自分が見返すためのものより、人に見てもらうためのものが増えているかもしれません、僕もそうですね、仕事のものも当然そうですが、趣味のものもそうかもしれません。

それが、ダメってわけじゃ無いですが、自分のための写真を増やさないとなぁって思いましたし、見返す時間を作らないとなぁというのも感じました。

これからも写真の魅力を感じながらシャッターを切ったり、見返したりしたいと思います。

 

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