実家は京都の超田舎で、田舎なのでまったくうらやましくもない話ですが、家の前後に小さな庭があります。

前の庭には母親が花壇を作ったりしていましたし、父親の車が停められていたりしました。

で、私は裏庭でよく遊んだ記憶があります。
子供ならキャッチボールできるぐらいの広さです。

父親や兄弟とキャッチボールをした記憶もありますし、当然その延長にガラスを割って母親に叱られるという漫画のような話もあります。

小さい頃は自然に囲まれて育ったためか、『自然』という存在は無意識で、アートや機械的なギミックなどにとても興味を持っていました。

父親の時計、カメラ、車、そのあたりはその興味の的だったと記憶しています。

車などは出かけるときに乗せてもらえるのですが、カメラとなるとなかなか触らせてもらえることもなかったんだと思います。

それが、不意に『触ってみる?』と渡された時はとてつもなく嬉しかったと記憶しています。
先ほど書いた裏庭での話です。

ファインダーを覗き、父親の真似をしてみると『見えてる景色が二つに見えてるのを一つにするとピントが合うんや』と手ほどきをしてくれました。
いわゆるレンジファインダーというやつです。

 

ファインダーの中央にある黄色い部分に虚像が映るので、フォーカスリングを回して実像と合わさるように調整してピントを合わせる仕組み

 

物に、良いもの、そうでないもの、高いもの、安いものの有ることがよく分かっていないぐらいの歳のことです。
今の自分ならそのカメラのメーカーや機種なんかもしっかり覚えることでしょうが、当時はそんなことはなかったようで頑張って思い出そうにも思い出せません。

デジタルのメモリは撮り直しや削除が自在ですが、フィルムの場合そうはいきませんので、空のままでしたが、敷地内のあちこちキョロキョロしながらシャッターを切っていたことを思い出します。

ただまぁ歳も歳でしたので、そんなに集中力が続くわけもなく、その後に起こる事故はなるべくしてなったのかもしれませんが、それはまた別の話にします。

これが、私とカメラの一番古い記憶です。



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